神が生れる話第40話 老夫婦の会話
令和7年5月1日、老夫婦が参拝された。ご主人は91才、奥さんは94才、若い頃から月参を心がけ人も羨むほどのおしどり信心夫婦。
令和7年5月1日、老夫婦が参拝された。ご主人は91才、奥さんは94才、若い頃から月参を心がけ人も羨むほどのおしどり信心夫婦。
このご夫婦、奥さんが八年前に脊椎管狭窄症で手術、術後のきつい痛みある中、リハビリをかねて、道中、店の軒下、椅子借りて、休み休みの参拝、教会の上がり框(かまち)で一息入れての参拝です。
この日も、無事にたどり着いてお礼のご祈念、腰を擦りながら 話題が、段々と身近の人の訃報を耳にするようになって、ぽっくり往生した友だちが羨ましいと言いいます。「長生きはしたくない。何もすることなく長く生きるのも辛い。なにかしながらぽっくり死ぬのがいい」と言います。
そこでご主人が、「楽に死ぬことを考えるのもいいが、生かされて生きると教えられているのだから生きることを考えるほうがいいのでは。今まで神様に生かされ、沢山のおかげを頂いたことを思い返すのもいい、これからどういうおかげを頂けるか、神さまの有難いことを楽しみにするのもいい。することはないというけど信心から見れば、することはたくさんある、そう考えた方がいいうと思うがね。その方が神様が喜ばれると思うがね」。奥さんが「それもそうね」と相槌打たれて、神様がお広前でじっと老夫婦の話を聞いておられる、そんな有難さが伝わってくる広前でした。
信心はいいもの、有難いものですね!
信心はいいもの、有難いものですね!
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