教会だより№577

 堪忍はよくできても、腹の立つのをおさえこんでいるのでは気分をいためる。それでは、まだいけない。もう一つ進んで、腹の立つということを知らないようになれ。そうすれば、身の薬である。
                  【天地は語る260】
       教えのこころ
 昔、尊敬する先生の本に「信心して何がおかげかと言えば腹が立たなくなったことだ」とあるのを読んで、信心というものはそれくらいのものかと思った自分を今さらながら恥ずかしく思い返します。
 世の中が便利になり生活がどんなに変わっても、腹立つ自分の心は何一つ変わらない。どうやら腹立つ心は人間の利己という奥深い所に根を張っているのかもしれない。もし腹の立つのを知らないという心になれたら、それはもう、先生が人間が変わるほどの修行をされたからに違いない。